暮らすがえジャーナル
こんにちは暮らすがえジャーナルです。
「暮らすがえ」とは、ライフステージや家族の成長、季節や気持ちの変化に合わせて、暮らしに自ら手を加え、ありたい「私らしい暮らし」を実現していくことをいいます。
前回の記事では、縄文時代の竪穴住居を取材し、そこに「暮らすがえ」の始まりがあったことをご紹介しました。
縄文時代の人々もきっと、竪穴住居の中で心地よく暮らすために、そこにあるもので工夫をしながら、暮らしに手を加え続けていたに違いない。
今回は、そんな縄文時代の暮らしから、現代に生きる私たちの暮らしのヒントを探ってみたいと思います。
梅之木遺跡の発掘調査に従事し、今回の取材に協力してくださった佐野さんに詳しくお話を伺いまいした。
佐野隆さん
大学で考古学を専攻。大学卒業後、北杜市職員として梅之木遺跡の発掘調査と集落の復元に従事。現在は梅之木遺跡公園のガイドを務める。
――前回のお話の中で、実際に竪穴式住居に住まわれて、当時の暮らしの再現を行っている、とい伺いました。佐野さんご自身が、これらの暮らしを体験する中で、改めて気づいたことってありますか。
そうですね、私個人は、ですが、縄文時代の彼らのように、自分の手が届く範囲で暮らしを作っていくことって実はとても大切なことなんじゃないかなと思うんです。
――「自分の手が届く範囲で暮らしを作る。」とはどういうことですか?
現代を生きる私たちは、ハウスメーカーがつくった家を買い、家具や家電など、便利な既製品をそのまま使って暮らしています。でも、こうして縄文時代の研究を重ね、一から家を作り、暮らしを作る体験を追っていく中で、それでいいのかな、と思うこともあるんです。
もし家が壊れたり、大きな災害があったとき、家の構造を知らなければ自分ではどうすることもできません。それに、生きていく上で自分が大切にしたいと思っていることも見落としてしまう気がするんです。
――佐野さんが大切にしたいと思っていることとはどういうことですか?
例えば、この竪穴住居では一般の方も宿泊して生活体験ができます。食事も当時の方法を再現して準備してもらうんです。
その時、木の実を石で割って剥くんですけど、これが結構コツがいるんですよね。いつの間にか子どもだけでなく、大人も熱中して黙々と時間を忘れて取り組むんです。綺麗にむけたら皆に見せて喜んだりして。
そんな風に、衣食住、生きるために欠かせない暮らしの中に、人生の豊かさがあるのではないかと思うんです。私はその豊かさを大事にして生きていきたい。モノや情報が溢れ、誰かが作った既製品だけの便利な生活だと、それを見逃してしまうのではないかなと。
――なるほど、衣食住、生きるための暮らしの中に、佐野さんの大切にされたい豊かさがあるんですね。確かに、喜びや幸せって、生きるための生活の中にもきっとありますよね。
そう思って、建築士の友人の手も借りながら、今は自分たちで建てた小屋で暮らしています。
――ええ!?ご自宅を自分で作られたんですか!?
さすがに、竪穴住居ではないですし、電気や水道は引いていますけどね(笑)
自分で家を建てて住みたかったというより、そんな風に自分の手が届く中で暮らしを作っていきたいと思ったんです。だったら自分で家を建てよう、と。
最初は自宅が住む家と、以前に飼っていた馬用の小屋をつくることから始まりました。馬が亡くなってからはその小屋を書斎に作りかえたりして、必要に応じて増築を繰り返しています。
佐野さんのご自宅。結婚されてご家族が増え、今は3つの小屋を繋げて暮らしているのだそう「この家、玄関が3つあるんですよ、こんなに玄関がある家なかなかないですよね(笑)」と佐野さん。
馬小屋を改築した佐野さんの書斎。民族学や考古学の書籍が天井まで所狭しと並ぶ。本棚は馬を飼っていた頃の柵をリメイクして作ったのだとか。
昔飼っていた白い馬、つぶらな瞳がかわいい。
――馬を飼っていた、というエピソードもかなり気になりますが…なんだか、現代版の縄文人という感じですね…!!
すごく極端な例かもしれませんね(笑)
もちろん、皆がみんな私のような生活をするべきだとは思いません。でも、どんな家に住みたいか、の前に「自分はどう生きたいか」は考えたいなと思いますね。自分は人として、何を大切にしてどう生きたいか。それを考えたら、私はこういう住まいになったんです。
――なるほど、自分がどう生きたいかによって暮らしや住まいを選択していく、というのは大事な発想かもしれないです。
あとは、人とのつながりも、大切にしたいなと考えています。
最初に作った竪穴住居は、171本の木を伐採して作りました。完成するまでにかかった労働量を人数におきかえると566人分です。
――ええ、そんなにかかるんですか!
当時の人々も、一人では竪穴住居を作れなかったはずです。カナダのインディアンは1日で竪穴住居を作るのですが、それもノウハウが伝承されていて一緒に家を作る仲間がいるからできること。
この遺跡にある竪穴住居たちも、ランダムに立てられている訳じゃなく、実は円を描くようにサークル状に作られ、集落が形成されているんです。円の中心に広場のようなものがあって、そこで皆で集まり、作業や儀式をしていたからだと考えらえれています。
周りの人々と繋がって生きていくことは、当時の縄文人も感じていた豊かさの一つだったんじゃないかなと思うんですよね。誰も、一人では生きていくことはできないですから。
――なるほど、周りの人と繋がって支え合って生きていくことは、現代でも大切にしたい方は多いのではと思います。佐野さんはこの先こんな風に暮らしたいという夢はありますか。
縄文時代と現代の良いところを融合した暮らしを考えてみたいなと思っているんです。自分専用の竪穴住居を作って住んでみてもいいなと思っています。
――さすがだ!縄文時代の暮らしについて学ぶことから、自分が本当に大切にしたい価値観は何か、見つめ直す機会になるとは思っていませんでした。貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました!
編集後記
私たちが、縄文時代のように暮らすことはこの先もない。
都会で生きていれば、佐野さんのように、家を自分で作って暮らすことも、難しいだろう。
じゃあ、今回の話は、自分たちの暮らしの参考にはならない?
でも、「自分はどう生きたいのか」という言葉の中に、ヒントがあるのでは?
技術が発展し、モノや情報が溢れ、何も考えなくても、当たり前にある程度、便利な暮らしが享受される現代。
その中で、私たちはどんな風に暮らし、何に喜びや豊かさを感じて生きていたいのだろうか。
日々の営み、誰かとのつながり。そして、そんなささやかな喜びを、感じられる暮らし。
その答えが見えた時、現代に生きる私たちにも、工夫できることがあるのかもしれない。
じゃあ、そんな暮らしを作っていこう、自分の手で。
さあ、暮らすがえ。