暮らすがえジャーナル
こんにちは。暮らすがえジャーナルです。
今回は、9月末に開催された木村石鹼100周年祭のトークイベントの様子をお伝えします。
創業から何十年も続く会社を受け継ぎ、新たな成長を続けている老舗ベンチャー企業。
その代表3名に、過去と現在、これからのお話を伺いました。
100年先も愛される企業とは、どういう存在なのか。
(写真右から)
堀田 将矢
堀田カーペット株式会社代表取締役社長。1962年創業、大阪府和泉市のカーペットメーカーの3代目。大学卒業後、トヨタ自動車株式会社に就職し、2008年に堀田カーペットに入社、2017年先代の父に代わり社長に就任。
木村 祥一郎
木村石鹸工業株式会社代表取締役。1924年創業、大阪府八尾市で100年続く、洗剤石鹸などの洗浄剤を製造する企業の4代目。大学卒業後ベンチャー企業を立ち上げ、2013年に会社を継承、2016年代表取締役に就任。
竹内 香予子
平安伸銅工業株式会社代表取締役 1952年創業、大阪市で72年続く生活日用品メーカの三代目。大学卒業後、新聞記者を経験し2011年に先代の父から会社を継承。2015年に代表取締役に就任。
ファシリテーター:羽渕 彰博(平安伸銅工業 執行役員)
最初に始めたのは、思考停止された慣習を捨てること。
――羽渕 彰博(以下:羽渕):今回ファシリテーターを務める羽渕です。
改めて、木村石鹼さん創業100周年おめでとうございます!今回は、創業何十年と経つ家業のバトンを先代から引き継いだ3人に、過去、現在、未来の話を伺いたいと思います。
お三方とも、継がれた時の会社の状況はどうだったんですか??
竹内 香予子(以下:竹内):私が会社を継いだ時は、売り上げが最盛期の3分の1ぐらいになっていました。
ホームセンターの売り場は維持していたのですが、人口は減っているから買う人は減っている。
真綿で首絞めるように、緩やかに売り上げが下がってる状態でした。
堀田 将矢(以下:堀田): うちは、カーペット業界自体がピークの100分の1まで縮小していました。
でも、父親がちゃんと経営していたので、今すぐに潰れるような状況ではなかったです。
ただ、僕の入社がちょうどリーマンショックと重なったんですよ。
注文が一気に無くなってしまって、社員をどうやって自宅待機させるか、というのが一番最初に参加した会議の議題でしたね。
木村 祥一郎(以下:木村):うちは平安伸銅さんに近いかな。
市場はずっとあるけれど、売り上げは10年ぐらい変わってない。
数社のOEM事業に依存してるような状態で、利益率だけがずっと下がり続けていました。僕が戻った時には利益がほとんど出ていないような状態でしたね。
でも、売り上げが変わっていないということは、仕事は変わらずにあるんです。
だから、会社には新しいことをやっていこうという風潮はなかったように感じました。
――羽渕 :みなさん順風満帆な状態で家業を継がれたわけではなかったんですね。これまで働いていた業界も違う中で、どう会社を成長させていくか、試行錯誤があったと思うのですが、何から始めたかは覚えていますか?
堀田:泥臭いことでいえば、10トン車10杯分のごみ捨てでしたね。
カーペット工場に行くと、埃をかぶってカビだらけになってる糸がそこら中にあったんですよ。
現場の社員に聞いてみると「社長が置いておいてと言ったので保管している」と。
でも、よくよく聞いたら、その社長って先々代の僕の祖父だったんです。何年前の指示だよと。
でも、社員からすると、偉い人に「置いておいて」って言われたから捨てられないんですよね。だから、僕がひとつずつ捨てていきました。
竹内: とても共感します。うちの会社では、10年前に使っていた営業資料やチラシがキャビネットの中にたくさん入っていたんです。
「なんでここに入ってるの?」と聞くと「いや、前から入ってたし…」というように、思考停止されて積み重なったものがたくさんあって。
そういうものを一掃して、事務所のスペースを確保して、レイアウトを変えていくみたいなことを最初にしましたね。
木村: 最初に何からやったか忘れたのですが、大きいことでいえば、値上げですね。 BtoB向けのモノで20年値上げしてない商品があって
羽渕 :それは確かに利益が下がりますよね。
木村:そう。でも 原料の値段はどんどん上がっているんです。よく調べてみると、利益が取れてない商品がたくさんあったので、一律で値上げをしました。
あと、当時は月末に営業担当が2人で1週間かけて80社くらいを回って対面で売り上げを集金していたんですよ。僕はそれが結構衝撃で。
社内でも反対意見は出たのですが、思い切ってすべて振込に切り替えました。対応いただけない会社さんもあったのですが、集金に費やしていた1週間を営業活動にまわすことができるよになりました。
伝統の技術を伝える、発展させる。
――羽渕 :面白いですね。みなさん長年積み重なってきたモノや慣習を整理して、まずは「普通の状態にする」ことから始められたんですね。そこから新商品の開発などを行われたのでしょうか?
堀田:まさにそうです。 当時、作っているモノはとてもいいのに、全然世間に伝わってないな、というのが僕の感覚でした。
だから、良さを伝えるために、ブランディングに舵を切ったのは大きかったと思います。
誰に、何を、どう伝えるのかとことを一生懸命考えるという、ただ、それをひたすらやってきました。
例えば、当時は「カーペット=アレルギーの原因」というカーペットに対するネガティブなイメージがあったんです。
でもカーペットを敷き込むと埃が舞い上がらないからアレルギーになりにくいと言ってくれてるお客さんもいて。
一般のお客様に対して、「アレルギーのない絨毯生活」をどう伝えていくのかっていうことを1番初めに始めましたね、
竹内: 私は、自分たちの持ってる技術を水平展開して新しいプロダクトを作ることが、整理整頓した後にやったことですね。
それが、ドローアラインやラブリコというつっぱり棒の技術や構造を使用した新たなプロダクトに繋がっていきました。
でも、そこにたどり着くまでにいっぱい失敗してるんですよ、私たちは。
整理整頓で生んだ余剰資金を使って、同時進行で10プロジェクトぐらいやっていました。
中には全く違うビジネスもあったのですが、要素技術を生かした新製品開発に落ち着いた感じですね。
木村: 僕も、堀田さんと同じで作っているものはいいと思っていたので、売り方や伝え方の問題だなと思ったんです。
これまで製品の企画から製造までは一貫してやっていたけれど、お客様に売るという最後の行為は、BtoBで別の企業さんにやってもらっていました。
なので、「売る」という最後の行為を自分たちでできればと。 そこで、生まれたのがSOMALIです。
このSOMALIも、ドラックストアなどいわゆる消耗材が良く買われる場所では価格の面で勝負ができないと思ったので、生活の質を少し上げたいと思っている人に届くように、インテリア商材の展示会に出しました。そこで受け入れてもらったのが最初ですね。
「作れない」時代、それでも続けていきたい。
――羽渕:家業を継がれて、整理整頓をしたうえで、さまざまなことにチャレンジされていったんですね。そんな皆さんに次の展望をお伺いできればと思います。
堀田:僕は、この先「作れない」時代が来ると思っています。
僕が会社に入る前までは、作れば売れた時代。
僕が社長になった時代は、作るだけでは売れないと言われてた時代。
だから、僕は伝えることに一生懸命なってきたんですけど。
でも最近、もう作れない時代に突入しているなと感じています。
例えば求人を出しても、 作る現場で働きたいという人はとても少ないんです。
これは、メーカーに限らず、例えば土木や福祉でも、身体や手を動かす人がいない時代になってるなと思っていて。
そんな中で、「手を動かして何か作ることって夢があるんだよ」ということをどう発信していくかが、僕のやるべきことなのかなと。
ものづくりに夢があることを、若い方々に伝えていきたいです。
――羽渕 :働く人が減っていく中で、どうやって共感を得ていくかということは大事ですよね。木村さんはいかがですか。
木村:うちも、いろんな手段で製造業の価値を上げないと、いずれ作る人がいなくなる問題に直面するなと思っています。
技術や伝統って効率だけを追求すると残らないんですよね。
儲かってるものだけを残すと、残らないものって結構あるわけですよ。
でも、例え儲からなくても、続けていくべきものってあると思うんです。
うちでいうと「釜焚き」の製法。これを辞めてしまうと、復活させるのは不可能だと思っています。
そういったものを残すために、例えば全く別の仕事で儲かるんだったら、その収益で非合理なことを補って、製造の価値を上げて続けられるんだったらそれでもいいなって最近は思い始めています。
竹内 :私たちの場合は、製造自体は担っていないんですけど、 岐阜に物流センターがあって。
現場で手を動かす仕事は、本当に維持していくのが難しい時代に来てるなと思っています。
なので、もっと地域に根差して、その地域の中で信頼されたり、そこで働くことが嬉しいと思っていただけるような存在になっていければなと思っています。
そういった視点でも、企業がどう地域と関わっていくのか、どんなスタンスで事業を行うのかが大事な時代になってると思っていて。
できることからですが、地域との連携協定などで、地域の課題に私たちも協力できるよというスタンスをまずは示していくことから徐々に始めています。
羽渕 :なるほど、面白いです。今の皆さんのお話って短期的に見たら儲からないし、非合理だと思うんです。
でも100年後にも会社を残していくと考えた時に、技術を残したり、人や地域と繋がっていくことが大切なんだなと感じました。
この100年祭も、イベントで収益を上げたい訳じゃないと思うんです。
でも、地域やほかの企業と繋がりを作っていくことで、結果的に何十年先も愛される会社になっていく。
長期的に見ると逆に合理的ですよね。そういったメタな視点が100年先も愛される企業になるために必要なのかなと改めて感じました。
100年先も愛される企業になるために、どんなバトンをつないでいくか。
――羽渕:最後に、改めてこの先どんなことを大切にしていきたいか、3人の思いをお聞かせください。
堀田:僕は、物を作るメーカーとして、常に本質に向き合い続けたいなと思っていて。
僕が今、意識してるのは、物と産地。それにフォーカスしながら、資本主義に若干抗いたいなと思っています。
もちろん、利益も上げなきゃいけないし、資本主義って素晴らしいと思ってはいるんですけど、 でも、資本主義だけを追いかけたら、カーペットを作ること自体をやめた方がいいという話にしかならないんですよ。
でもやっぱり物作りが好きだし、 その産地は残っていくべきだと、作り手本人は思ってるので。
だから、若干抗いながら頑張る、というのが僕のスタンスなんじゃないかなと思っています。
竹内:私はまだ上手く言語化できていないのですが。
平安伸銅って時代に合わせて、暮らしの豊かさは何かを考えてきた会社だなと。
そういう意味では、この先、商品やサービスのドメインは変わってもいいと思ってるんです。元々はアルミサッシの会社でしたし。
ただ、時代が変わって生活環境が変化しても、いつまでも、住まいが安心できて落ち着く場所で、大切な人たちと一緒に心休まる場所として機能するためにはどうしたらいいのかを、ずっと追いかけていきたいと思っています。
その手段が今まではつっぱり棒だったけれど、その次を見つけて届けていくのが、私の仕事であり、次にバトンを繋ぐことだなと。
木村: 僕は今、「続けていく」こと自体に目的があるなと思っていて。
前までは、何か目的があるから続けるのであって、続けることが目的っておかしいだろうと思ってはいたんですけどね。
でも、続けるということ自体も目的にできるなと思っています。
ただ、 それは変わらないってことではないんです。続けた方がいいものを続けていきたい。
変わるべきものはちゃんと変えて、 なるべくなら、やっぱり継続させたい。
例えば、僕には子どもがいないので、親族で承継していくことは終わりだと思っています。
でも、会社やコミュニティが継続していく方法は、色々ありますよね。
「続けていく」ための、仕組みなのか、文化なのか、そういったものを次に残したいと思っています。