暮らすがえジャーナル

こんにちは、暮らすがえジャーナルです。
2025年1月、石川県輪島市のとある仮設住宅を訪れる機会がありました。
そこで見聞きしたこと、感じたことを、このジャーナルの編集者である私の目線で、記事に残したいと思います。
「防災のスタートは、想像から。」
能登で求められたのは「室内干し」サロンだった。
能登エリアでは、過去にも収納サロンなどを開催していました。
そんな中、昨年末に現地で支援活動をされている方から「仮設住宅で室内干しのニーズが高まっているが、室内が狭く干す場所がなくて困っている。」というお話をいただきました。
狭い空間の活用や室内物干しであれば、お役に立てることがあるかもしれない。
平安伸銅工業のメンバー数名で、輪島市内のとある仮設住宅団地に伺いました。

伺ったのは、1週間前に入居したばかりだという人が大半という比較的小さな規模の、従来型応急仮設住宅の団地。
能登半島地震が起こって1年。
避難所から仮設住宅に一度入ったものの、夏に豪雨災害で仮設住宅から一旦退去を余儀なくされ、避難所を転々とし、また戻ってこられたのだそうです。
「サーカスみたいなテントでずーっと暮らしていたの。小学校の水道はどれも低くて手を洗うのも大変だったわ。」と笑って話してくださった居住者の方も。
皆さんは、仮設住宅がどのようなつくりかをご存じでしょうか。
1~2人世帯用の従来型応急仮設住宅の規格は多少の変化はあれど概ね同じ。
20㎡の1LDK構造です。
台所、トイレ、お風呂があり、入居できるだけでもありがたいとおっしゃる方が多いです。
ただ、2人で快適に住むには十分な広さかというと、そうでもないことは想像できるかと思います。

宿泊した輪島市のホテルから。ホテルの真下にも仮設住宅の団地がありました。
そんな応急仮設住宅は、学校のグランドだったり、小高い丘の公園だったり、時には観光案内所や商店、漁港のすぐ横だったりさまざまな場所に建てられていきます。
「道からよく見えるから外に干す場所が無い。」
「雪の季節になると外に干せなくなる。」
「とはいえ家の中は荷物だらけで干す場所もない。」
そんな声を聴きながら、縦につっぱる形の物干し竿のご紹介と、室内干しの際の注意点をお話させていただき、物干し竿の取り付けを希望される方のご自宅には一緒に取り付けに行きました。
「こうしたらいい、ああしたらいい、という情報が全然なくて困っていた。」
・・・手狭な住宅環境を整えることを長年やってきた日用品メーカーとして、その情報が本当に必要な人に届けられていなかったことに、胸が痛くなりました。

室内干しサロンの様子
地震から命は助かった。避難所から仮設住宅に移り住むことができた。
でも、その先にも、課題はまだまだたくさんあるのです。

避難所になっている小学校でもつっぱり棒をご提供しました。元々学校なので目隠しや風よけになるカーテンがなく、どうすればいいか困っていたとのこと。
私たちは本当に「災害のその先」を想像できているのか。
阪神淡路大震災から、あるいは東日本大震災から災害支援に従事している方にも、それぞれ現地でお話を聞きました。
能登の今の課題を聞くとともに、防災に必要なことは何かと尋ねると、答えは共通していました。
「防災は、まず想像することから。」と。
「今、首都直下地震が起こったら、確実に能登以上のパニックになる。一度に大量の人が被災をする。けがをしても、どこかに閉じ込められても、救助はすぐに来ない。」
「もちろん命が助かることが何より大事。ただ、命が助かったとして、救援物資が全国から届くまで果たしてどれくらいの時間がかかるのか。避難所生活がどれくらい続くのか、仮設住宅はどんな暮らしになるのか。その先の復興はどうなっていくのか。それを想像するところから、備えることが始まる。南海トラフでのように、広域で災害が起こった時、果たして自分たちの住んでいる街に全国から支援は迅速に届くのだろうか?」
言われてみるとその通りなのに、はっとさせられる私がいました。
きっとなんだかんだ助かって、避難所に行けば多分ご飯は食べられるだろう。
その先もまあ、命が助かれば、なんとかなるんだろう。
何百万人という人が行き交う大阪市の中を通勤しているのに?
居住地の避難所の設備に何があるかも知らないのに?
何度も能登に足を運び、震災について考えてきたはずなのに、想像以上に、私は楽観視している。
少しずつ、できることから。
能登から自宅に帰って、部屋を見渡してみました。
今ここで地震が来たら、何でケガをするだろうか。
電気もガスも水道もなく、そして救援物資も届かない日が何日も続いたとして、耐えしのげるのか。
一緒に能登に行ったメンバーは、家族と話し合って家具固定と備蓄品を見直したといいます。
ご近所付き合いも、防災の上では重要だというお話も聞きました。
「日ごろから近所の人と顔見知りになっておくことも大事。
『あの家にはおばあちゃんが住んでいたはずだ。』
『ここは一人暮らしの人だったはず。』
と分かっているだけでも救助のスピードは変わってくる。
いざという時、消防も救急も間に合わない時、自分たちで助け合うしかない。」
実際、阪神淡路大震災で救助された人のうち、7割は自力もしくは家族で救助されましたが、残りの3割は近所の人に助けられたと言います。(救急による救助はわずか数%)
巨大地震は、いつか来ると思っていても、今この瞬間だとは思っていないし、思うことができない。
防災対策は、なんだか現実味がないし、めんどくさい。
それでも、私たちは自分のために、大切な誰かのために想像しないといけない。
少しずつ、できることから、暮らしの中を備えていく。
この記事がそんなきっかけになれば幸いです。
そしてこれからも、平安伸銅工業は、目の前の災害に向き合いながら、
耐震ポールなどの防災用品を扱う企業として、必要なプロダクトや情報をしっかりと発信していきたいと思います。

帰り際の海岸から。能登の景色はとても美しく、食事もとても美味しい。