暮らすがえジャーナル

こんにちは、暮らすがえジャーナルです。
今回紹介するのは、ヘイアンメンバーの舟渡史さん。
デザイナーとしてキャリアを築きながら、ブランドマネージャーに転身、そして挫折を経てたどり着いたのは、“人と人の橋渡し”という新たなミッションでした。
経営と現場を行き来しながら組織に必要な対話を紡いでいく役割を担うまでのストーリーとは。
舟渡 史
カルチャーグループに所属。メインのミッションは、“人と人の橋渡し”をすること。
組織開発や社内外のインナーブランディング、人間関係の改善といった経営課題を解決に導く、ヘイアンにはなくてはならない“コネクター”。
――現在の業務について教えてください。
いろんなことをやってるのですが、ざっくり言うと、経営者の想いを要約・翻訳して現場に伝えたり、グループ間のコミュニケーションを促進したりしています。
働く上でお互いの想いが理解しあえるような工夫を日々行っていますね。
――もともとはグラフィックデザイナーとして入社されたんですよね。
そうです。前職でブランドを立ち上げた経験をきっかけに、入社後はグラフィックデザイナーグループのリーダーを務めていました。
やりがいもあり楽しく取り組んでいたのですが、今後のキャリアをより広げたいと考え、自らの意思でリーダー職を手放す決断をしました。
安定したポジションを離れるのは勇気のいることでしたが、新たに『LABRICO』のブランドマネージャーにチャレンジすることを選びました。
――ブランドマネージャーとグループリーダーにはどんな違いがあったのでしょうか。
グループリーダーはメンバーのまとめ役ですが、ブランドマネージャーは、外部環境分析や、競合他社の分析。取引先の売上構成比率を見ながら戦略を打ち立てるのが仕事でした。
戦略に基づいて、製品開発やプロモーションなど各部門に戦術案を考えてもらいます。戦術の立案にも伴走していました。
これまでは、戦略基づく、というよりも自分の実体験を元に、感覚を頼りにして仕事を進めることが多かったんです。
でもマネージャーは戦略の妥当性を社内にしっかり説明する必要があるので、ロジックを積み上げながら、計画的にブランドをつくっていくことが求められるようになりました。
ブランドマネジメントの専門とする方に伴走もしていただいて、『どうすれば、みんなを率いることができる戦略を打ち立てられるのか』『どんな数字を見ればブランドが機能するのか』を学びつつ、試行錯誤しましたね。
そういったことは本当は苦手なんですが、それが僕のキャリアとしての新たなミッションなのかな、と当時は感じていました。

突然のキャリア迷子・・・葛藤しながら自分の居場所を模索
――ブランドマネージャーを任されて、いかがでしたか?
実は、挫折したんですよ。約半年でブランドマネージャーを降りることになったんです。
当時、『LABRICO』はコロナ禍のDIYブームもあり、売れていたのですが、それはあくまで一時的なもの。
安定的に売り上げを伸ばしていくためにブランドイメージそのものを変えていく必要がありました。
いろいろ戦略は考えたのですが間に合わず、結果的に僕はブランドマネージャーから降りることになりました。
突然ブランドマネージャーのはしごを外されてしまい、虚無感に陥りましたね。
社内の関係各所と戦略を練って実行しようと試みていた最中だったので。
――そこからどうされたんですか?
ブランドマネージャーではなくなり、前に務めていたグラフィックグループのリーダーは他の人が立派にやっている。
僕だけが社内で何の役割もない、“キャリア迷子”になっていました。
悩みに悩んだ挙句、かよさん(代表)に辞めると伝えたんです。公園のベンチでかよさんに率直な気持ちもぶつけました。
でも、かよさんは『まだやれることはある!』と背中を押してくださったんです。
その後、発足して間もない、人事や組織開発、広報などを持つ「カルチャーグループ」への配属を提案してもらいました。

――デザイナーとしてのキャリアから全く経験のないグループへの異動に、葛藤はありませんでしたか?
めちゃくちゃありました。
背中を押してもらったものの、しばらくは日々複雑な気持ちで仕事していました。
どうしようかなと、執行役員になる前の羽渕さんにも話を聞いてもらいました。アイスクリームを食べながらキャリア相談してもらっていたら、『なるほどデザイン』の著者である筒井さんをご紹介いただいて。
後日、筒井さんにキャリア迷子状態の自分の悩みを聞いてもらったんです。
――いろんな方に相談をされていたんですね、お話されてみてどうでしたか。
いつしか変化を恐れるようになっていた自分に気づかされました。若い頃は親の反対を押し切ってまで自分の夢を貫いていたのに(笑)
でも、筒井さんから『悩んでいるのは葛藤して、もがいている証。その期間は何事においてもあることだし、“戦略的迷子”なんです。そうやって、漂うことを恐れずにいることで未来が拓ける』とアドバイスをもらって、すごく腹落ちしたんですよね。
僕たちはどこかでわかりやすい未来の目標を立てて、そこに向かって歩んでいこうという意識がつきすぎていると思うんです。その方が安心もするから。
そうではなくて、“漂うこと”を良しとする。『漂うことを恐れない』という言葉で一気に思考のスイッチが切り替わりましたね。
そこからは、漂いながらもやってくる目の前のチャンスに一生懸命に取り組んできました。
新たなチャレンジもありましたが、そうして今の僕があると思っています。
現場と経営の視点を兼ね備えた橋渡し役
――漂いながら、目の前のことを一生懸命やる。その中で今の仕事にたどり着いた経緯はなんだったのでしょうか
岐阜県の職場で、スタッフが辞めることになったんです。
退職の意思に至った経緯を聞き取ろうと、現場に出向きました。
本社と離れていることもあり、ほとんど初めてお話する方だったのですが、色々お話をしていくうちに、そこで『ここだけの話・・・』と正直に色々答えてくださいました。
そこから、会社の組織課題が浮き彫りになり、定期的に岐阜に通いながら本社と繋いでいく役割を担うようになりました。
――お話を聞き出せたのも、それを組織課題に整理して関係部署に繋げることができたのも、舟渡さんだからできたことですね。
漂いながらたどり着いた、僕の強みなのかもしれません。
人と組織、人と人との関係性を築くことは組織開発で重要な役割の1つです。
そのためには、会社と現場、両者の目線が重要になります。
現場で悩んだ経験や、グループリーダーやブランドマネージャーとして人をまとめるために葛藤してきた経験も活きてくる。
色々な役割を漂ってきたからこそ、あらゆる立場の視点に共感し、話すことができるのかなって。
ことを整理し伝えていくという意味では、グラフィックデザイナーの経験も活きているのかもしれません。
そこからは、必要なプロジェクトに参加して、人と人を橋渡しする役割を担っています。
今では、平安伸銅工業だけでなく、他の企業でもその橋渡し役に挑戦しているところです。
外部の組織コンサルともまた違う、企業の内部から組織を変えていく、新たな職種のような感覚です。
企業のメンバーの一員として、内側から組織をリビルド
――「内部から組織を変えていく」とはどういう意味なのでしょうか。
僕自身の経験もあるのですが、きちんと現場に入らないと本当の組織課題は見えてこないと思うんです。
例えば、経営者が社員に思いを伝えるために、ビジョンミッションバリューを整理したりする。
それ自体は必要なことですが、その真意が伝わらないと、社員は『キレイごとを並べているけど、現場の実態と合ってないよね?結局何がしたいの?』と感じ、言葉が形骸化してしまう。
経営層の思いは、どうしたら正確に伝わるか、その障壁になっている組織課題は何か。それは現場に入ってみないと分からないんですよね。
――経営者と現場の社員、中に入って、共に悩みながら解決していくのですね。
そうですね。僕は代表がかよさんに変わってすぐ、平安伸銅の組織改革の初期からいたので、組織開発を進めた先に社内で起きたことや、メンバーがどんな反応をしたのかも経験しています。
その経験は平安伸銅の価値ともいえるので、これからは同じように、組織に課題を持っている人たちのヒントになればいいなと思っています。
いろんな企業の方と喜んだり悲しんだりしながら、一緒に打開策を見いだしていきたいです。
――人と企業とを漂いながら繋いでいく、まさに“舟渡”という名前そのものですね!
「船」ではなく「小舟」っていうのが僕らしくて、いいですよね(笑)
もし、このままでいいのかなって迷っている方がいたら、舟のように海の上を『漂っていていいんだよ』と伝えたいです。
そこを自分自身で認めることができたから、次のチャレンジにつながったので。
これからもいろんな変化が起きるとは思いますが、変わることを恐れず、柔軟に漂っていきたいですね。
